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タイトル 日 時
イエスとは誰か 2012/9/23  マルコ8:27-38
ペトロは「あなたがたはわたしを何者だと言うのか」という主の問いかけに「あなたはメシアです」と答えました。この時点での弟子たちの理解からすればそれは決して間違いではありません。間違いどころかまさにマルコ福音書はそのことを物語ってきたと言えます。しかし、問題は、それはいかなるメシアか、ということだと思います。ペトロたちが考えていたメシアと主イエスが続く31節から語られた受難のメシアとには天と地ほどのギャップがありました。それは受難をイエスの口から初めて打ち明けられた時のペトロの反応を見れば明らかです... ...続きを見る

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2012/09/29 23:18
御言葉を聴き歩む 2012年9月16日 マルコ7:31-37
本日もマルコの癒し物語から学びます。マルコ5章で少女に主が「タリタ・クム」という言葉をかけられたのと同様に、今回耳が聞こえず舌がもつれている人に主は「エッファタ」と命じられました。主の言葉が直接記されている箇所です。そこにはその男への主の憐れみがありました。異邦人のこの男はたちまち耳が開き、舌のもつれが取れたというのです。それだけでも十分驚きなのですが、しかしその人は不思議なことに言葉を話し始めたと福音書は記します。この人は耳が聞こえなかったので言葉は知りませんし、どのように発音すればそのような... ...続きを見る

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2012/09/22 20:31
敬老礼拝で祈りました 2012/9/16
ホイヴェルス神父「人生の秋」 「この世の最上のわざは何?楽しい心で年をとり、働きたいけれど休み、しゃべりたいけれども黙り、失望しそうなときに希望し、従順に、平静に、おのれの十字架をになう。若者が元気いっぱいで神の道を歩むのを見ても、ねたまず、人のために働くよりも、謙虚に人の世話になり、弱って、もはや人のために役だたずとも、親切で柔和であること。老いの重荷は神の賜物、古びた心に、これで最後のみがきをかける。まことのふるさとへ行くために。おのれをこの世につなぐくさりを少しずつはずしていくのは、真に... ...続きを見る

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2012/09/16 13:26
パンのかけらでも 2012/9/9  マルコ7:24-30 
主の一行が隣国の大都市ティルスにまで足を伸ばしたときの出来事です。外国の町でも、ナザレのイエスが来ているという評判はたちまち広まって、悪霊に取りつかれた娘をもつ母親の耳にまで届きます。この母親はすぐに主のところに来て、ひれ伏して悪霊払いを懇願します。 これまで福音書に書かれてきている出来事は今まで主が病い障害を治し、悪霊を追う払う権威と力を示されたのは同胞のユダヤ人だけでした。異邦人であるこの母親に対する応対は、いままで私たちが知っている主の態度とは明らかに違いました。 最終的には癒しがおこ... ...続きを見る

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2012/09/13 21:57

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日本ナザレン教団 成田キリスト教会 2012年9月のブログ記事/BIGLOBEウェブリブログ
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