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日本ナザレン教団 成田キリスト教会

プロフィール

ブログ名
日本ナザレン教団 成田キリスト教会
ブログ紹介
千葉県成田市にあるプロテスタントキリスト教の教会です。
礼拝に来ることができない教会員のために説教原稿と説教の音声データをアップしています。
原稿データからは個人名や、内輪の話などを削除するなどの配慮をしてはおりますが、音声データは礼拝説教そのままになっておりますのでご了承ください。

どなたでもご自由にご覧いただけますし、音声データをお聞きいただけますが、あくまでも、時が示され成田キリスト教会の方々に向けて準備され、語られたものです。
その点をご理解ください。

また、遠慮なくご質問やコメントをお寄せください。
直接教会に来られる方は、事前に牧師までご連絡ください。

教会ホームページはこちら
http://nazarene.or.jp/narita/
インターネットに接続できる携帯電話からも見ることができます。

成田市飯田町

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タイトル 日 時
教会の始まり 2012/10/14 使徒1:1-8
主が天に帰られるお別れの時、「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。(1:8)」 とおっしゃいました。ではこの、わたし=イエスの証人とは何ことなのでしょうか。 それはルカ 24:45〜48を見るとよく分かります。「そしてイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心の目を開いて、言われた。『(中略)エルサレムから始めて、あなたがたはこれらのことの証人となる。』」というのです。 では... ...続きを見る

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2012/10/20 22:59
躓かないために 2012/10/7 マルコ9:38−50
説教要旨 「つまずかせる」は本来、「人の歩く道に罠を仕掛ける、道に障害物を置く」という意味だそうです。誰が見ても「罠だ」とわかる罠にはまる人はいません。どこでつまずいたかもわからない、どこから罪の道に向かってしまったかもわからない、そんな分かれ道で人はつまずいてしまうのです。ですから「つまずかせる」とは「罪に誘う、神への道から引き離す」という意味でしょう。日常にあるほんの些細な事柄によって人は命の道を踏み外し、罪の道へと転落してしまうのです。分水嶺という言葉がありますが、山の峰にある水が、分か... ...続きを見る

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2012/10/07 17:45
イエスとは誰か 2012/9/23  マルコ8:27-38
ペトロは「あなたがたはわたしを何者だと言うのか」という主の問いかけに「あなたはメシアです」と答えました。この時点での弟子たちの理解からすればそれは決して間違いではありません。間違いどころかまさにマルコ福音書はそのことを物語ってきたと言えます。しかし、問題は、それはいかなるメシアか、ということだと思います。ペトロたちが考えていたメシアと主イエスが続く31節から語られた受難のメシアとには天と地ほどのギャップがありました。それは受難をイエスの口から初めて打ち明けられた時のペトロの反応を見れば明らかです... ...続きを見る

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2012/09/29 23:18
御言葉を聴き歩む 2012年9月16日 マルコ7:31-37
本日もマルコの癒し物語から学びます。マルコ5章で少女に主が「タリタ・クム」という言葉をかけられたのと同様に、今回耳が聞こえず舌がもつれている人に主は「エッファタ」と命じられました。主の言葉が直接記されている箇所です。そこにはその男への主の憐れみがありました。異邦人のこの男はたちまち耳が開き、舌のもつれが取れたというのです。それだけでも十分驚きなのですが、しかしその人は不思議なことに言葉を話し始めたと福音書は記します。この人は耳が聞こえなかったので言葉は知りませんし、どのように発音すればそのような... ...続きを見る

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2012/09/22 20:31
敬老礼拝で祈りました 2012/9/16
ホイヴェルス神父「人生の秋」 「この世の最上のわざは何?楽しい心で年をとり、働きたいけれど休み、しゃべりたいけれども黙り、失望しそうなときに希望し、従順に、平静に、おのれの十字架をになう。若者が元気いっぱいで神の道を歩むのを見ても、ねたまず、人のために働くよりも、謙虚に人の世話になり、弱って、もはや人のために役だたずとも、親切で柔和であること。老いの重荷は神の賜物、古びた心に、これで最後のみがきをかける。まことのふるさとへ行くために。おのれをこの世につなぐくさりを少しずつはずしていくのは、真に... ...続きを見る

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2012/09/16 13:26
パンのかけらでも 2012/9/9  マルコ7:24-30 
主の一行が隣国の大都市ティルスにまで足を伸ばしたときの出来事です。外国の町でも、ナザレのイエスが来ているという評判はたちまち広まって、悪霊に取りつかれた娘をもつ母親の耳にまで届きます。この母親はすぐに主のところに来て、ひれ伏して悪霊払いを懇願します。 これまで福音書に書かれてきている出来事は今まで主が病い障害を治し、悪霊を追う払う権威と力を示されたのは同胞のユダヤ人だけでした。異邦人であるこの母親に対する応対は、いままで私たちが知っている主の態度とは明らかに違いました。 最終的には癒しがおこ... ...続きを見る

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2012/09/13 21:57
心が鈍る時 2012/8/26 マルコ6:41-53
先週の箇所で、主は使徒たちを休ませようとしてくださったにもかかわらず、結果的には休めませんでした。そればかりか、主は追い討ちをかけるように2匹の魚と5つのパンを大勢な人に配るようになどという無茶な指示をだされました。「それから」という接続詞でつなげられたのが本日の箇所です。 使徒たちも疲労困憊、食事もまともに取れない状況だったので、主は強いて使徒たちを船に乗せました。向こう岸で休ませようとされたのです。 強いて とは自分たちの意に反してという意味です。そして主ご自身が民衆の対応をされ、解散... ...続きを見る

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2012/08/26 17:00

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