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タイトル 日 時
御子に似たもの 2012/4/29  言行録4:23-33
弟子たちは主の教えに従い、主ならこうなさるだろう、御心はこうであろうという信念の元に行動しました。 「知る」という言葉はヨハネにとってとても大切です。「知ったなら、そうしなさい」と主が言われるからです。神様のお言葉を聞いて、主の種を宿して、その働きを信じる。わたしたちの内にこの世でおこなわれる罪の力が働きかけてきても、あえて主の罪の赦し力を信じる。聖書のお言葉がわたしたちに告げてくださっていることを信じる。信じるとはこれに聞き従うことです。あえてそちらのほうを「選びとる」ことです。でもどう... ...続きを見る

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2012/04/29 20:12
キリストの名によって 2012/4/22 使徒4:5-12
美くしの門のところにいた物乞いをしていた足の不自由な男が立ち上がって歩き出した。その原因は、ペトロが「キリストの名」による癒しだった。 はじめ弟子たちは主から受けた権能を見よう見真似でしていただけかもしれない。しかしペトロが「わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです」と語ったことによって後のキリスト教会に2つの大きな影響を残すこととなった。一つは「救われる」ということであり、それが「唯一無二のキリストの名」によるのだということです。このことにより... ...続きを見る

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2012/04/22 17:53
驚くことはない 2012/4/8 マルコ16:1-8
復活祭おめでとうございます。 マルコによる福音書は福音書の中で一番古く書かれたものです。神の子イエスキリストの福音の最後は本来「恐ろしかったからである」で綴じられています。では、復活の証人である女たちは何に対して恐ろしかったのでしょうか。 世の中の人は、「驚く人」と「驚かない人」とに分けられます。人は、想定外の事が起こると驚き、恐ろしくなるものです。自分自身でコントロールできなくなるからです。マルコは、福音書を書くにあたり「イエス・キリストという人物が神の子である、」とは書いてきませんでした... ...続きを見る

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2012/04/08 09:08
祝福があるように  枝の主日(棕櫚の主日) 2012/4/1 マルコ11:1-11
主イエスのエルサレム入城の場面です。 エルサレムに上る途中、主は弟子たちに命じてまだ何の仕事もしていない子ロバを調達なさいました。そのロバに乗ってエルサレムに来たときに人々は枝を振って「ホサナ」と叫び歓迎しました。「ホサナ」とは「主よ憐れんで下さい」とか、 「わたしたちをお救い下さい」という意味です。ユダヤ社会、ローマ政府からすれば「ダビデの子、新しい王」というのはあまり好ましくない存在です。にもかかわらず人々は主がエルサレムに入場されることを歓喜を持って歓迎したのです。本日からの1週間は「... ...続きを見る

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2012/04/01 20:39

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日本ナザレン教団 成田キリスト教会 2012年4月のブログ記事/BIGLOBEウェブリブログ
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