日本ナザレン教団 成田キリスト教会

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zoom RSS 元日礼拝 2011/1/1 マタイ7:7-12

<<   作成日時 : 2011/01/01 13:55   >>

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新年あけましておめでとうございます。
昨年は、皆さんに本当に祈っていただき、お支えいただき、ありがとうございました。
新しい年も、どうぞよろしくお願いいたします。
2011年の最初、神様を礼拝することから始めることができますことを感謝致します。
今年も神様を礼拝することを信仰生活の土台とさせていただきたいと思います。


さて、皆さんはこのお正月に何か新年の誓いを立てられたでしょうか。
私たちはお正月を迎えるたびに、「今年こそは、今年こそは」と新しい人生に挑戦しようとします。
残念ながら、結果は挫折することが多いのではないでしょうか。
では、私たちが新しく変わるということにおいては、何の希望も見出すことはできないのでしょうか。
そんなことはありません。
聖書には、「心を新たにして自分を変えていただき(造りかえられる)」(ローマ12:2)ようにと勧めています。
「自分を変えていただく」とあるように、自分で自分を新しくすることはできません。
それができれば苦労はないわけです。
新年早々、後ろ向き名気持ちになってしまう話のように聞こえます。
自分自身の弱さと限界とを認め、自分の力による自己刷新は、不可能だ、という思いを新たにすることが大切なことだと思います。
私たちは、天地を創造された神様以外に、私たちを新しくすることはできないのです。
ですから、私たちは、神様に信頼するという心、
つまり「心を新たにする」ことが求められているのだと思います。
「自分を変えていただき」つまり「造りかえる」と訳されているギリシャ語は、「変容する、変貌する」というような意味があります。
ギリシャでは、生物学の用語として用いられたと言われているようです。
たとえば、毛虫から蝶に変わる様子などの場合です。
毛虫のような存在が、神様の恵みと力によって美しい蝶のように変容するということなのです。
「造りかえられるというのは」文法的に言えば受身の命令形ですから、「造り変えてもらいなさい。」「自分を変えていただきなさい。」ということになるのでしょう。
私たちは神様に自分を変えていただく、造り変えていただくのです。
新しい年、私たちは神様にみ言葉と聖霊を通して、自分自身を変えていただきたいと思います。

求め続けなさい。(探し続けなさい。門をたたき続けなさい。)
この箇所は、イエス様の山上の垂訓、山の上の説教と言われる最後の部分です。
この箇所は、特に祈りに関するものとしてよく語られます。
祈りは、神様に求め、探し、門をたたくように、熱心に、執拗に、辛抱強くしなさい、ということでしょうか。
故榎本保郎牧師は、新約聖書一日一章で次のように書かれています。
私たちは、お盆の上に何もないところから、与えてくださいというのではなくて、お盆の上にいろいろと置かれた食べ物を、「わたしはこれがほしい」と求めるように、神様はすでに備えていてくださるのだから、「求めるように、探すように、門をたたくように」と示されているように思います。マタイによる福音書6章32節には、「あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことはご存知である。」とあるように、私たちに何が必要なのか知っておられるのですから、神様を信頼して、神様を第一にするならば、すべてが与えられる、と約束しておられます。
12節には、「だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。これこそ律法と預言者である。」と記されてあります。
私が勤めていた会社はクリスチャンが経営者でしたからこの御言葉を掲げておりました。
サービス業にとって、この精神はとても重要だと思います。
私たちは、自分の子どもには、「人の迷惑になることはしないように」と言います。
これを、「人にしてもらいたくないことを人にはしないように」と言い換えることができるように思います。
一般的に、「人にしてもらいたくないことは人にはしない」ということはよく言われることだと思います。
「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。」ということは、あまり言えないように思います。
「人にしてもらいたくないことを人にはしないように」ということは、消極的なことで、このことを守ることは案外、簡単なことかもしれません。
しかし、「人にしてもらいたいと思うことを人にもする」ということは、積極的なことで案外、難しいことなのかも知れません。
しかし、神様の愛を知ったクリスチャンには、このことが求められています。
私たちの罪のために、身代わりに十字架にかかり、神様の怒りと裁きを受けて下さったイエス・キリスト様の愛をいただいた者として、神様に罪を赦された者として生きることが求められています。
自分が赦されることを願うように、隣人を赦す。
自分が受け入れてほしいと願うように、隣人を受け入れる。
自分が愛されたいと願うように隣人を愛するという生き方を私たちは心から願い、そのように生きたいと思います。
私たちは、何かをしないでいきようという消極的な生き方ではなくて、自分がしてもらいたいと願うことをすすんで隣人に実行していくというみ言葉を実践できればと願います。このような生き方、つまり、み言葉に従って生きる生き方は、ある意味では自分の生活を複雑にし、自分のための時間を犠牲にするのかも知れません。
そこには、自分の大切な仕事や自分のための時間を中止してまで、隣人のために仕えるという厳しい状況があるのかも知れません。
み言葉に触れ、み言葉に養われ、み言葉に従って実行することが、自分を砕き、他者のために生きるという神様の望んでおられる姿なのかもしれません。
それが私たちの願う聖めの生き方であるように思います。
なぜならば、自分が砕かれないでは、そのような働きをすることはできないからです。
この一年、愛なる恵み深い神様を信頼し、どこまでもこのお方に従い、共に神様の栄光を拝させていただこうではありませんか。

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