日本ナザレン教団 成田キリスト教会

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zoom RSS 墓前礼拝 2010/10/17 Tコリント15:20-22

<<   作成日時 : 2010/10/24 19:29   >>

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昔このようなクイズがありました。
坂本竜馬が死なずに、今まで生きていたらどうなるでしょうか?
私はこのクイズに対して、私はまともに「歴史が変わる」と答えました。
その答えは、人口が一人増える、ということでありました。

答えを聞けば なんだ、と思うようなトンチです。
しかし、そんなことも聖書の中に記されているキリスト以外の復活を考えるときに、わかりやすくなるのではないかと思います。
キリスト以外の復活させられた者は、今なお生きているでしょうか?
人口が一人増えているでしょうか?
そんなことはないのです。
聖書にしるされているラザロにしても、その他の癒された人たちもやがて死んでしまいました。
二度目の死を迎えたのであります。その者たちは、今は死者となっているのであります。

それではキリストはどうなのかと言いますと、キリストはまことに復活されました。
死者の中から復活をされたのです。
そして今なお生きておられます。
天におられ、生きて働かれ、私たちを導いていてくださいます。
ですからこの意味で、キリストは復活の初穂であるのです。
最初の実りです。
あとの者が、その後に続々と続こうとしている、今がまさにその状態です。

したがいまして、私たちが希望にしている復活は、あくまでもキリストの復活であります。
復活したのちに、再び死んでしまうような復活を希望にしているわけではないのです。まことに復活されたキリストの復活こそを希望にしているのであり、それが私たちの復活の初穂であるのです。

主イエス・キリストの復活、それから私たち自身の復活、これらの復活を信じているからであります。

これら二つの復活と言いましても、それぞれ別々のものではありません。
一方を信じるけれども、他方は信じないということにはならないのです。
しかしコリント教会の人々の中には、一方を信じるけれども、他方を信じないという考えに陥っていた人がいたようです。
キリストの復活は信じているけれども、私たちの復活、つまり死者の復活は信じない、というのです。

コリントの教会の中には、キリストが復活の初穂であることをわきまえずに、死者の復活などないと言っていた人がいました。
もしかしたら、その者たちは死者の復活があると言うのなら、復活の証拠を見せて欲しいと言っていたかもしれません。
復活を信じている私たちも、ときにはそのようなことを言われることがあります。
証拠を見せろ、その証拠があれば信じてやろう、と言われるかもしれないのです。

しかし、初穂が成っており、次の実りを待っている状態にある私たちにとって、証拠はキリストしかありません。
初穂以降の実りを待っている状況ですので、最初の実りであるキリストを見てくださいと言いようがありません。
教会はそのことをしっかりとわきまえて、「キリストは甦られた」ということを絶えず宣べ伝えてきました。

コリントの信徒への手紙の第一五章はその様子がところどころに記されています。
まずは一節
「兄弟たち、わたしがあなたがたに告げ知らせた福音を、ここでもう一度知らせます。」さらに続く二節でもこう記されています。
「どんな言葉でわたしが福音を告げ知らせたか、しっかり覚えていれば、あなたがたはこの福音によって救われます。」

そして実際のキリストの復活の証言が、パウロによってなされるわけです。
キリストが三日目に復活したこと、十二人に現れ、その後、五百人以上もの前に同時に現れたこと、そしてついにはパウロ自身のところにも現れたことが言われます。
五百人以上にも現れたとパウロは言いますが、「大部分は今なお生き残っています。」
とパウロは言いますので、タイミング的にまだ生きていたのでしょう。

なぜそんなことをパウロが言うのかと言いますと、生きている者たちのところへ行って来なさい、そうすれば、「キリストが甦られた」という証言を聴くことができるからであります。
ここでも言葉なのであります。
そして11節に至る。
「とにかく、わたしにしても彼らにしても、このように宣べ伝えているのですし、あなたがたはこのように信じたのでした。」(一一節)。
キリストの復活を言葉によって宣べ伝えられたということが強調されているのであります。

このことは、今日の私たちも変わるところはありません。教会というところは「キリストが甦られた」ということを何よりも大切にしています。
今でもそのことを言葉でもって証言しています。
この説教でも、キリストが甦られたことを宣言します。私たちの救い主、主イエス・キリストは復活の初穂として甦られた、と。

本日は墓前礼拝として、私たちは礼拝を献げております。
すでに地上での歩みを終えて、逝去された方々を覚えての礼拝であります。
もちろんのこと、私たちは先に召された方々を特別な位置において、祀ったり拝んだりするわけではありません。
あくまでも、初穂として復活された主イエスを拝む礼拝なのであります。

そのことをしっかりとわきまえながら、私たちの周りにおられる、たくさんの召天者を覚えます。
自分の家族の中にも、親しい教会の仲間にも、そのほかのところにも、私たちの周りには多くの逝去者がおられます。
教会の墓地に納められている人も居れば、そうではない人も居らっしゃる。
思いがあってもなかなか墓参できない所に眠る愛する人も居らっしゃるでしょう。
それが私たちの現実であります。
しかし、ハイデルベルク信仰問答が言いますように、生きるにも死ぬにも、ただ一つの慰めは、私が私自身のものではなく、体も魂も、真実な救い主、主イエス・キリストのものであるということです。復活の初穂なるキリストのものであるということです。

私たちの周りの逝去者も、そしてこの私自身も、キリストに続く復活の実りなのであります。その実りを、私たちは信じて待っているわけです。

キリストは死に打ち勝ってくださいました。
死の根っこには、アダム以来の私たち人間の罪があります。
キリストはその罪をも打ち破ってくださったのです。
「アダムによってすべての人が死ぬことになったように、キリストによってすべての人が生かされることになるのです。」(二二節)、聖書はそのように私たちに告げます。
キリストの復活には、そのような重大なことも含まれているのです。
私たちにとっての福音、よき知らせのすべてが、「キリストは甦られた」という言葉の中に詰まっているのであります。

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