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zoom RSS 復活の主に生きる 2010/4/4  イースター早天礼拝  コリント第一15:1-20

<<   作成日時 : 2010/04/04 08:39   >>

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聖書 ローマ8:1-11
    コリント第一15:1-20




イースターおめでとうございます。
イースターはキリスト教会最大の記念日であり、世界中のキリスト教会が今日のこの日を祝います。
キリストの誕生日であるクリスマスを12月25日に祝うのは、西方ヨーロッパ系教会の伝統です。
ギリシャやロシアのいわゆる東方教会は1月6日に祝いますので祝う日が違っています。
またクリスマスを祝わないキリスト教会もあります。
しかし、このキリストの復活日を祝わないキリスト教会はありません。
なぜならイエス・キリストの復活にキリスト教会の基礎は置かれているからです。


イースターの時、卵にいろいろと絵を描くという風習があります。
卵は無論そこから生命が生まれるものであり、キリストの復活を表現するのにピッタリです。
また殻を破ってひよこがでてくる様子が、暗く閉ざされた墓から光の中に出てくることの象徴として相応しいといえるでしょう。

この風習はイギリスか始まったようです。
卵に似せて作ったチョコレートや、おもちゃを入れた卵形の容器などというのもよくあるそうです。
子供の遊びとしては、この彩色した卵を草むらなどに隠しておいて、それを探し出すというものが有名です。

またイースター・エッグはイースターうさぎ(EasterHare)が持ってくるのだという伝承もあります。
このイースターうさぎもまた復活祭のシンボルです。

復活祭の日付の定義はAD325年の二ケア公会議によって決定されたものです。
「春分後の最初の満月に次ぐ日曜日」というのがその基準です。
その後時差の関係で春分の日が地域によって違ってしまうということがわかり、3/21が春分の日だと固定して考えられるようになりました。

さてそんな復活祭ですが、現代を生きる私たちにどのような意味があるのでしょうか。

復活祭を意味する英語<イースター(Easter)>は、ゲルマン人の「春の女神(夜明けの女神)」の名に由来すると言われています。
寒く暗いヨーロッパの冬の季節から、春分を越えて春を迎えようとするお祭りに、シュの復活を重ねてお祝いしたのが始まりだと
太陽は東(イースト)から出るからです。

当時ギリシャでは肉体は悪で霊魂は善という二元論の考えが強くありました。
霊は神から出たもので、肉体は土つまり汚れたものであると。
コリントの人々の中には、キリスト者になっても、この考え方から抜け出ることができない者が多く居ました。
従って彼らは肉体の復活を信じることが出来なかったのです。
私たち日本人クリスチャンも日本の習俗、精神性などが染み付いていて、聖書の真理を証しできない場合があるのではないでしょうか。


さて、私たちは復活と聞くとなんだか前向きな、エネルギッシュなイメージを持ちます。

キリストが復活されたに違いないと言える理由として、鍵となる真理があります。それは、使徒たちがイエスの復活を非常に重大なことと捕らえている事実です。キリストの復活について鍵となる聖書の箇所はこの第1コリント15章です。
この章で、使徒パウロはなぜキリストの復活を理解し、信じることが重要か、説明しています。
復活は次の理由で重要なのです。
(1) もし、キリストが復活していないなら、信者も復活しないことになる。
(2) もし、キリストが死者の中からよみがえらなかったとしたら、キリストの犠牲が罪のために充分ではなかったということになる。
イエスの復活は、キリストの死が私たちの罪の贖いの代価として、神に受け入れられたということを証明しています。
もし、キリストが単に死んだだけで人身御供だったとしたらキリストは神にはなりえません。
英雄と伝えられることはあっても、キリストの犠牲は充分ではなかったということを意味します。
その結果、私たちは罪が赦されることもなく、肉体が死んでからも、そのまま死んだ状態でいるということになるのです。
永遠のいのち(ヨハネ3章16節)も存在しないことになります。
「しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。」(第1コリント15章20節)
キリストは死者の中からよみがえられました。
キリストは私たちの復活の初穂なのです。

キリストを信じる者はすべて、キリストが復活されたように、永遠のいのちのうちによみがえるのです。(第1コリント15章20-23節)

続いて第1コリント15章は、キリストの復活が、キリストが死に打ち勝ったことの証明であり、私たちに罪に勝利して生きることが出来るようにと力を備えてくれることを説明しています。(第1コリント15章24-34節)

私たちが受けるすばらしい復活した体の栄光ある性質について延べています。(第1コリント15章35-49節)
(5)キリストの復活の結果として、キリストを信じる者はすべて最終的に死を克服することができると宣言しています。(第1コリント15章50-58節)
キリストの復活とは何とすばらしい真理ではありませんか!
「ですから、愛する兄弟たちよ。、堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。
あなた方は自分達の労苦が主にあって無駄でないことを知っているのですから。」(第1コリント15章58節)

聖書によると、キリストの復活は絶対なる真理なのです。
聖書はキリストの復活を記録しています。
400人上の目撃者がいたこと、続けて、キリストの復活が歴史的事実に基いており、キリスト教の重要な教理となっていることを記録しているのです。


キリストの十字架と復活を信じるすべての者は、死(肉体の死と霊の死)から解放され、生かされるのです。
復活の日が「週の初めの日」、すなわち日曜日と定められました。
しかもそれは後に この当時、キリスト者を弾圧していたローマ皇帝によってそう定められたのです。
礼拝はキリストの復活を記念し、それを覚えるために行なれました。
パウロを始め弟子たちは、単に人生訓を語る方としてイエスを伝えたのではありません。
「すごいことが起こった、キリストは本当によみがえったのだ」と驚きと感動をもって伝えたのです。
復活なしでは、キリストの福音は空想話やただの不思議話になってしまいます。
私たち自身がキリストの復活のことを本当に信じているか、どれだけ感動をもって伝えられるかが、キリスト者として生きる者に与えられている使命だと思います。

そして、そのことの始まりはこの日曜日の早朝ということになります。
だからこそこの復活の朝 礼拝をすることが重要だといえるのです。
喜びと感動の感謝を持ってキリストを証してまいりましょう。

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