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zoom RSS 夕礼拝 Tペトロ4章7節-10節 

<<   作成日時 : 2010/02/21 20:48   >>

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主イエスは天の国は地引網のようだとおっしゃいました。
中にいる魚はだんだん陸に引かれていっていることに気づかない。
聖書の預言している世の終わりに近づいたことを意味します。



聖書には世の終わりの前兆について預言されていますが、今日その預言の成就を様々な点で見ることができます。
この世は益々混乱し、堕落して、滅びへと向かっています。
この世の支配者である悪魔・悪霊どもは、自分たちの終わりが近いことを知り、人々を欺き、だまし、死と滅びへと導こうと働いているのです。(Uコリント11:14、ヨハネ8:44、10:10)彼らを好きなままに働かせてはならないのです。
彼らを縛り、追放し、彼らのわざを打ち破り、彼らに支配されている人々を解放し、イエス様に導かなくてはならないのです。(ヘブル2:14、使徒26:18)
「神の子が現われたのは、悪魔のしわざを打ちこわすためです。」(Tヨハネ3:8)そのためには祈りが必要です。
祈りによって神様との交わりを深め、聖霊に満たされ、強められるからです。
また、祈りは働くと大きな力が現されるからです(ヤコブ5:16マタイ18:18,19)。祈りは霊的な武具とも言うことができるのです(エペソ6:14-18)。
世の終わりが近づいている今日、益々私たちは祈り、人々を救いに導く神様の業を進めていかなくてはならないのです。

2.心を整える
力ある祈りをするためには、まず心を整えることが必要です。
「心を整える」とは、原語では「正気である。思慮深い。分別がある。」という意味の言葉です。
この言葉の逆は、「狂気である。注意深く考えない。物事の道理がわきまえられない。」となります。
私たちが霊的・信仰的にこのような状態になってしまってはないでしょうか。
すなわち、自分の置かれた状況を霊的・信仰的に正しく把握し、霊的・信仰的な優先順位を正しく判断して、神様の御心にかなった決断、選択、行動をとることができないのです。
喜んで神様に従い、仕えることができず、この世的・人間的な基準で物事を自分勝手・自己中心に考え、判断して、行動してしまうのです。
それは、霊的に眠ってしまっている状態です。
こうなってしまうと、力ある祈りができないばかりか、祈りの生活さえおろそかになるでしよう。
だから、常に正気であり、思慮深くあり、分別がある者とならなくてはならないのです。
それは心を整える、整理するということです。
整理するとは、「乱れているものを秩序正しくすること。むだなものを処分すること。」です。
私たちの心は、この世の余分なもので乱れてはいないでしょうか。
改めて自分の心を顧みて、無駄なものを処分して、秩序正しい状態にしましょう。これは、一言で言うなら「神の国と神の義を先ず第一に求める」ということです(マタイ6:33)

3.身を慎む
次に聖書は、祈りのために「身を慎む」ようにと言っています。
この言葉は原語でも「慎み深くしている」という意味です。
日本語ではこの言葉は「控えめにしている」という消極的な意味でとられますが、聖書では、「セルフ・コントロールする(自制する)」という意味で使われています。
英語聖書では「酔っていない。しらふな。冷静な。」という意味の言葉が使われているものもあります。
これは非常に面白い表現で、酔っ払いのように、フラフラした統制のない者とならないようにということです。
このように「身を慎む」というのは、ただ控えめに何もしないでいることではなく、自分自身と自分の生活を制することであるということです。
自分の生活を管理するということも神様から託されたクリスチャンとしての大切な務めです。
私たちには平等に命が与えられ、時間が与えられ、それぞれに応じた賜物も与えられています。
私たちは、それらを正しく、賢く管理して、神様の栄光が現れるようにしなくてはならないのです。
自分の生活は、霊的・信仰的にコントロールされたものとなっているでしょうか。それとも、自由と繁栄の中で信仰生活が惰性的になったり、この世のことで忙しくなってしまい、祈ったり、聖書を学んだり、教会生活が疎かになり、霊的・信仰的な生活が目茶苦茶になってしまってはいないでしようか。
そのような生活が当たり前になってしまい、何にも感じなくなってしまったら終わりです。
そのような状態では、力ある祈りができないばかりか、祈りの生活もできません。神様の前に何が大切なことであり、優先しなくてはならないことかを御言葉と祈りによって判断し、自分自身の霊的・信仰的生活を改善しなくてはならないのです。
そして、常に祈れるような生活にコントロールする努力が必要なのです。

こうして、自分心と生活を整え管理することによって、バランスのとれた祈りの生活が送れるのです。
聖書は常に「目を覚まして、祈り続けなさい。」と言っています(マルコ14:38、エペソ6:18)。
祈りは力ある武器であり、悪魔の要塞を打ち破ることができるのです。
目を覚まして祈り、悪魔に捕らわれている人々を救いに導き、御国を来らせましょう。
世の終わりの近い今日、いよいよ祈りに励もうではありませんか。

愛の力

愛には人を変える力があります。
なぜなら愛は多くの罪を覆い、ゆるすからです。
愛は人をいやすことができます。
愛はまた多くの罪を防ぐことができます。
愛は愛を呼び起こします。
冷たい雪を割って黒い大地から芽を吹き黄色の可憐な花を咲かせる福寿草のように、愛は周いやりの芽を呼び覚ますのです。
その愛はいずこより着たりたまうか。
愛は神より出づ(Iヨハネ4:7)。
愛をください、主よ。

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