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zoom RSS なんと幸いなことか

<<   作成日時 : 2009/12/20 11:55   >>

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クリスマスの季節を迎え、時の過ぎ行く速さを思わないではいられません。
先週は、「急に寒くなりましたね」なんて挨拶をしていましたが、気温だけを比較すれば例年通りなのだといいます。


さて、私たちはクリスマスの出来事について、「よく知っている」と思い込んでいることはないでしょうか。
毎年同じような話を聞いている、何度も降誕劇を演じたことがある、そんな声を聞くことがあります。
雑誌やテレビではクリスマスの過ごし方などを特集しています。
本当のクリスマスの意味などあまり関係ないかのようです。
教会でも、さまざまなクリスマス行事に忙殺されて、私たちまでも、クリスマスの意味を取り違えて、間違った形で祝ってはいないか・・と危機感を覚えます。
だからこそ、聖書に添って、最初の出来事に目を留めることが大切です。

福音書を記したルカは、医者で国際派のインテリであったといわれています。
「すべての事を初めから詳しく調べていますので、順序正しく」書こうとしていた。
またテオフィロという人物に、キリストに関して教えられていた事がらが、「お受けになった教えが確実なものであることを、よく分かっていただきたい」と願っていた。(1:1〜4)
そのような意図を込めて、幼子イエスの誕生の出来事を書き記しています。
母となったマリアの証言を元に、その前後にあった不思議な出来事を詳細に記しています。
ヨハネの誕生、受胎告知、エリサベト訪問、イエスの誕生とエルサレムの宮でのこと、そしてイエスが12才の時のことであった。
一連の出来事の中で、マリアの心が大いに騒いだこと、それは御使いガブリエルによる知らせでした。

2、御使いの挨拶は、いきなりのものであった。
「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」
マリアはひどく戸惑いました。
そしてさらにそれに続く言葉は、一層彼女を戸惑わせました。
「あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。」
御使いは、イエスと名づけられる男の子は「いと高き方の子と呼ばれ」、すなわち神の子であり、「ダビデの王位」を継ぐ者であると明言した。
マリアは益々驚き、自分の身にそんなことが起るとは、とても考えられないでいた。
ヨセフと婚約していても、まだ一緒になっていなかった彼女には、理解しようにも、どうにもならない不可解なことが告げられたのである。(26〜34節)

けれども、全ては全知にして全能なる神のご計画に従って、事が進められていました。
神はご自身が約束されたことを、その時が満ちて実行に移そうとされたのです。
御使いは、聖霊によってマリアの胎に男の子が宿ることを告げ、その不思議を彼女が受け入れられるように、親類のエリサベトの身に起っている不思議を知らせ、その上で「神にとって不可能はありません」と明言した。
一方的な宣告であったので、彼女はただ聞くしかなかったが、一言一言が胸に留まり、心の中に届きました。
聞き終えてマリアは答えます。
「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」
それ以外には言いようがなかったとも言えます。
しかし、確かな応答が導かれたのである。

御使いの突然の現われから、マリアと御使いの言葉のやり取りには、どれ位の時間を要したのであろう。
「どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように」と言葉を発するまで、マリアの心は大いに騒いだに違いありません。
このことを自分に置き換えたなら、果たしてそのように言えるであろうか。
戸惑いや疑い、そして恐れから どんな答えも出せないのではないか。
しかし彼女は、「ほんとうに、私は主のはしためです」と心から認めました。
彼女の信仰の確かさ、それは自分を「主のはしためです」と告白する率直さにあった。
神がおられ、自分がいる。
神に対して自分は常に仕える者であり、神が成さることは一切のことに優先すると認める潔さ、この信仰を持っていたのである。


確かな信仰があったということで、マリアは真に幸いであった。
最初に「おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます」と告げられて、戸惑いはしたが、彼女は「主がともにおられる」ことの幸いを理解したのです。
自分の身に何が起ろうとも、主が共におられるなら、決して恐れることはない。一人ぼっちになることは決してないからである。
孤独というのが、私たちの一番の恐れではないでしょうか。
どんな困難も、だれかが一緒だったら乗り切ることが出来るかもしれません。

マリアもそのことが分ったので、彼女は自分の身を主に任せることができたのではないでしょうか。
「私は主のはしためです」と答え、そして「おことばどおり・・・」と主に任せることができました。
そこまで主に任せたマリアの人生は、責任は主が引き受けて下さることになり、彼女自身では、主がどのようにして下さるのか、期待に胸が膨らませることになりました。
しかし、その心中は言葉では「この身になりますよう」と言っていても決して穏やかではなかったと思います。


テレビドラマの話をします。
TBSのドラマで「仁」というのが本日最終回です。
夜9時からですから夕拝が終わった後、見たいと思っています。
このお話は現代の医者が幕末にタイムスリップするというもともとは漫画だったフィクションがドラマされたお話です。
漢方薬の医療にやっとヨーロッパの医学が日本に入ってきたころに、現代の医学が入り込むのですから展開はとても面白いドラマだと思います。
その中で、坂本竜馬がこの仁という医者を支えるのですが、坂本竜馬の台詞にこんなものがありました。
「南方(みなかた)先生がおれば、坂本竜馬は死なん」
魔法の手を持ち、どんな難病も治してしまうそんな医者がいたら、自分は死ぬことがないというのです。
当時は考えられなかった、開腹手術や脳腫瘍を治してしまう、そんな人が自分の近くに居たらそう思うかもしれません。
医療技術もさることながら、この人は坂本竜馬の家族構成や個人情報も知っています。
そしてどこでどうやって死ぬかも知っています。
時間を越えたそんな人が目の前に現れたら、その人がそばにいてくれるのなら自分は死なないと信じることが出来る。
信仰の対象はちがいますが、人がその確信を得た時、「坂本竜馬は死なん」そう宣言するのです。
本人のこと、状況、すべてをご存知であるかたが、そばにいるのならば自分は死なないと確信が出来るのです。


神は確かにマリアの胎に男の子を宿らせ、その命を育まれました。
万全の守りを備え、助けを与えて幼子の誕生の日まで見守られた。
主に身を任せたマリアに、ザカリヤとエリサベトの親類を備え、夫ヨセフを備えられました。
エリサベトとマリアはおばあさんと親戚だと説明されていますが孫くらいの年の差がありました。
不思議なのはこの二人の出会いです。
人々とは違って、二人には理由が明確であったということです。
互いに身に起こっていることが理解し合える。
この二人の会話は、非常に言葉が少ないのです。
マリアが挨拶したと書かれているだけで、あとはエリサベトの祝福です。
「聖霊による」と互いに確認し合える、そこにこの出会いの麗しさが漂います。
自分の身に起こっていることが「聖霊による」と確認し合えることの喜びです。
エリサベトの胎内にいる赤ちゃんが「喜んで踊った」。
二人の会話がまるで胎児に聞こえているかのごとく描かれます。
互いに分かり合える、という喜び。
「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じる」、「聖霊による」という喜びです。
「聖霊による」、すなわち「神が共におられる」、この喜びが「幸い」だ、と言うのです。

たった一人であったマリアところに悩み・不安、そして祈りを共有するものを与えられたのです。
しかも、そこにはインマヌエルの主が中心におられる。
人は苦難なしに生きることはできません。
信仰を持っていても、それを保つがゆえの苦難もあります。
人々から受け入れられないときの苦痛、イエスはその苦痛を自ら引き受けられました。
そして、マリアもエリサベトも苦痛の中に、この喜ばしき訪れを聞いているのです。

それは「聖霊による」のです。
この声は、私たちの教会生活にあっては、「聖霊による」というみ声を聞くときに、互いに分かり合えることができ、また個々人の生活の中でも、「聖霊による」というみ声を聞くときに、神の導きに感謝なのです。
「幸い」は「聖霊による」ここから出てきます。
私たちは、み子誕生の喜びを、マリアとエリサベトの出会いを通して、見てきました。「聖霊による」という、マリアに起こった出来事は、私たちの生きる道しるべでもあります。
み子がお生まれになった。
それは、「聖霊による」。この幸いは、常に私たちと共にあります。
主が共におられることの幸いは、目に見える形で現われ、主を喜ぶ者の交わりの中でしっかりと経験させられます。
また主に任せることによって、主がその人を支えて下さるのであって、困難があっても道は必ず開かれるのです。
救い主の誕生は、そのような幸いなマリアがいて、そのマリアを主が用いて確かにこの地上で起ったことであります。
救い主の誕生を喜ぶとともに、マリアの幸いをまた私たちの幸いとすることを祈り求めたいと思います。

最後に、ルカ福音書の「幸い」の言葉で終わりたいと思います。
ルカ6章20節から23節です。
「貧しい人々は、幸いである、神の国はあなたがたのものである。今飢えている人々は、幸いである、あなたがたは満たされる。今泣いている人々は、幸いである、あなたがたは笑うようになる。人々に憎まれるとき、また、人の子のために追い出され、ののしられ、汚名を着せられるとき、あなたがたは幸いである。その日には、喜び踊りなさい。天には大きな報いがある。」

メリークリスマス!


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