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zoom RSS 揺るがずに従い行く いざや61 2009/7/5

<<   作成日時 : 2009/08/09 13:02   >>

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今日与えられている聖書の箇所はイザヤ書61章です。
イザヤ書は第一イザヤ1−39章、第二イザヤ40−55章、第三イザヤ56‐66章という具合に三つに分けて考えられています。
今日の聖書箇所である61章は第三イザヤの預言集の中の一こまです。
第一イザヤは紀元前8世紀にエルサレムで活躍した預言者であり、第二イザヤはバビロン捕囚の時にバビロンで活躍した無名の預言者であります。
そして、第三イザヤは捕囚が終わってエルサレムの神殿が出来ているころの預言者で、それぞれ微妙にその預言に特徴があります。

しかし、イザヤ書全体としては「神の義」という主題に貫かれています。
神の救いの業が堂々と語られています。
C.ベスターマンの解説によりますと、60−62章は「主の救い」と言う主題が記されて第三イザヤの中心部となっており、二つの「民の嘆きの歌」とに挟まれています(59:1−14と63:7−64:11)。
そこには神の栄光の現れるさまが感動的に描写されます。


この聖書箇所は主イエスが公生涯の初めにガリラヤのナザレでの最初の説教に読まれた箇所(ルカ4:16―21)として有名であります。
まずここには「主はわたしに油を注ぎ/主なる神の霊がわたしをとらえた」と記されます。
神様の特別なる油注ぎが、預言者の上になされて、彼が、神の霊に満たされて、立ち上がるというのであります。
油注ぎというのは「マーシャーフ」といって旧約聖書では王や預言者、祭司になされたものです。
ここから「メシヤ」という言葉が出ました。
このギリシャ語訳が「キリスト」です。
神様は預言者に特別なる祝福の油注ぎをなして、霊的な力と権威を与えるのであります。
そして、彼は問題を持っている人々のところへと遣わされて行きます。
1節の後半には、「わたしを遣わして/貧しい人に良い知らせを伝えさせるために。打ち砕かれた心を包み/捕らわれ人には自由を/つながれている人には解放を告知させるために」と記されております。
福音はまず、「貧しい人々」の中に伝えられます。
「貧しい人々」とは圧迫されて、悲しんでいる者、嘆いている者、打ち砕かれている者、捕われているもののことです。
当時の社会的な弱者でした。
それらの人々にまず福音が語られました。
ルカ4章、ロマ書1:3を、総合して言えば、神は主イエスに油を注ぎ特別なる存在、神からの救い主(キリスト)としてその霊を注がれたことになります。
それは、キリストの「受肉」であり、「十字架」であり、「復活」であり、「再臨」であります。
この福音を受け入れる時に貧しき者が、救われ、その人生に一大改革が始まるのです。

第三イザヤは、多分バビロン捕囚から帰還した者の一人だと考えられています。エルサレム神殿が再建される時に預言者として召され、活動しました。
紀元前539年、ペルシア王キュロスがバビロニア帝国を倒したとき、イスラエルの民は、バビロン捕囚から解放され、エルサレムに帰ることが許されました。
そして彼らは、故国エルサレムに帰ったら、まず神の住まいであるエルサレム神殿を再建しようと決心しました。
しかし、エルサレムに帰ってみると、あまりの荒廃ぶりに、再建の意欲は全く失せてしまいました。
自分たちがそこに住み、そこで礼拝した痕跡すら見られないほど荒れ果てていたのです。
自分たちが捕囚中思い続けた、望みがくじかれてしまったのです。
4節には、そのようなエルサレムの荒廃した状況が暗示されています。

それは待ちに待った帰還のはずでした。
50年の年月は、イスラエルの状況も人々もすっかり変えてしまいました。
バビロンへ連れて行かれた者と、イスラエルに残った者との軋轢もあったかもしれません。
けれども彼らはなんとか心をひとつにして神殿を再建しようとしました。
しかしその再建もすんなりいったわけではありませんでした。
周りの民族からの妨害もあったようでその再建は中断してしまいました。
しかし現実にはその希望をうち砕くようなことが起こっている。
大きな希望を持っていればいるだけその分きっと失望も大きかったことだろう。なにもかもうまくいかない、これからもうまくいきそうにもない、まるで今の日本のような、いつまでたってもよくならない、どこにも明るい未来が見えない、どこに希望を持てばいいのか分からないような有り様だったのかもしれない。
あるいは今の教会も同じようなことかもしれない。
若者や子どもが教会からいなくなってしまって、未来を託す者がいなくなってしまって、どうしてそうなってしまったのかも分からない、そしてそのことをこれからどうしたらいいのかも分からない、そんな風に未来に希望を持つことができない状況だったのかもしれない。
そしてこの第三イザヤはそんな時代に神の言葉を取り次いだ預言者だった。

61章は第三イザヤが何のために、誰のために神に選ばれ神の言葉を取り次ぐ者となったかということが書かれています。
「主はわたしに油を注ぎ/主なる神の霊がわたしをとらえた。わたしを遣わして/貧しい人によい知らせを伝えさせるために。打ち砕かれた心を包み/捕らわれ人には自由を/つながれている人には解放を告知させるために。」とあるとおりだ。

彼は貧しい人によい知らせを伝えるために選ばれたとあります。
良い知らせつまり福音は国の指導者や権力者ではなく貧しく苦しめられている人に伝えられるというのです。
権力もない、能力もない、何かをするような自信もない、そして未来に希望を持つことも出来なくなってしまっているそんな者に福音は伝えられるというのです。
そしてその福音は、打ち砕かれた心を包み、捕らわれ人に自由を、つながれている人には解放を告知するというのです。
現実の厳しさに、何もかもうまくいかないことで打ちのめされている者の心を包むということだろう。
そして捕らわれている者を解放するという。権力者によって捕らえられていた者、さまざまなしがらみに捕らわれている者も解放される、福音にはきっとそんな社会を変革する力があるのだろう。


また3節に、「シオンのゆえに嘆いている人々に/灰に代えて冠をかぶらせ/嘆きに代えて喜びの香油を/暗い心に代えて讃美の衣をまとわせる」とあります。
人間的に見れば悪いことしか起きようがない、まったく未来に希望が持てない、そんな状態を神は完全に180°転換してしまうというのです。
目の前の荒れ果てた神殿やエルサレムを見て嘆いている人々がいます。
イスラエルでは何か深い悲しみの出来事が起こると、灰を頭からかぶる習慣があったそうです。
例えば、肉親が死んだときとか、何か大きな天災に遭ったときとか、戦争に巻き込まれたときとか、疫病がはやったときなど。
そのようなとき、人々は断食をし、粗末な服を着て、広場に行き、灰を頭からかぶった。
しかしその灰を冠に代えるというのです。
悲しみの灰を喜びの栄光の冠に代えるというのです。
そして嘆きを喜びに、暗い心を讃美に代えるというのです。
神が嘆いている人に喜びと讃美を与えるというのです。
そこから人々は未来に希望を持つようになる、そして「彼らは主が輝きを現すために植えられた正義の樫の木と呼ばれる」ようになるのです。
未来に希望を持つようにされた者は、自分の幸福に満足するだけで終わるのではありません。
正義の樫の木として他の者に対して、外の世界に対して神を証していく者となっていくと言われるのです。


ではどうしてこの第三イザヤと呼ばれるこの預言者はそんなことを言うことができたのでしょうか。
それは神に希望を持っているからです。
希望の元を神においているからです。
神の約束があるからこそ希望があるという。
私たちはいつも現実に目を向けてしまいます。
目に見える現実、その現実の厳しさに目を奪われてしまいます。
神の言葉よりも目に見える現実に捕らわれてしまうのです。
そんなことばかり、そして嘆くのです。

教会でも礼拝の人数が少なくなったと言って嘆き、献金が減ったと言って嘆き、愛がないといって嘆き、ついには目に見えるあらゆることを嘆きすっかり希望をなくしてしまっている。
イスラエルの現実も似たところがあったのだろうと思います。
やっと地元に帰ったと思ったところが街も神殿も荒れ果て、どうにか再建しようとすると邪魔され思うようにいかない。
見えるものは嘆きの種ばかりだったのだろう。
けれどもそんな時に預言者は神が嘆きを喜びに代えてくれると語ったのだ。

11節には「大地が草の芽を萌えいでさせ/園が蒔かれた種を芽生えさせるように/主なる神はすべての民の前で/恵みと栄誉を芽生えさせてくださる。」
神がそうしてくれるのは、大地から草が生えてくるように、蒔いた種が芽生えるように確実なことなのだと言うのです。
冬になると草も枯れて表面的には何もなくなってしまいます。
けれども見えるところには何もなくても春になれば確実に芽が出てくるのです。
そのように神の約束は確実にやってくるというのです。
私たちにはまだ見えていなくても、神は確実にそうして下さるというのです。
今の嘆きを喜びに代えてくださるというのです。

この喜びに満たされていたいと思います。

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