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zoom RSS わたしはある。  2009/06/21 出エジプト3:1-14

<<   作成日時 : 2009/06/21 20:57   >>

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「わたしは、有って有る者」。
これは、モーセが「あなたのお名前はなんと言うのですか」と質問した時に、神様が答えた御名前です。
全地を創った神の御名は「有る」でした。
これは何と奇妙な、しかし、適切なお名前でしょうか。
神は全ての存在の根源ですから、その御名が「ある」、「存在する」であることはふさわしいと思います。
元々、名前というものは他のものと区別するために付けるもので、唯一の神に名前は必要ないからです。
しかし、実際の人間社会には様々な神々がありますから、神様はやむをえずモーセにそう名乗ったと言えるでしょう。
それも天照大神だの観世音菩薩だのという“ありがたい”お名前ではなく、ただ「ある」ですから、何とも皮肉です。
最初、私は英語の表現に非常に興味を感じました。
“I AM WHO I AM”また、前には“I AM THAT I AM”とありました。
直訳すれば「わたしはわたしであるわたしだ」。
私はBe動詞というものがこんなにも重要なものだと知りました。
中学校の英語で2番目か3番目に習うのがbe動詞でしょう。
神のお名前はそのBe動詞で表されるのです。

このお名前はヘブル語では(英語表記で)4つの文字で表されました。YHWHです。
しかし、モーセの十戒で「主の名をみだりに唱えてはならない」とあります。
当時、聖書を朗読するとき、この文字に来ると声を出さなかったといいます。
今でもユダヤ人はそうなのかもしれません。
しかし、それではどうも不便だということで、主を表すアドナイ(ADONAI)という言葉の母音を取って当てはめYAHOWAHIエホバと発音したといわれています。
実際には、本当かどうかわかりません。
とにかくエホバは全く神の御名とは関係ない言葉です。
出来るだけ近い音は「わたしは、有って有る者」という意味のエヒエ・アシエ・エヒエからヤハウエというようです。

そしてこの短縮形がただヤーで聖書の人物の名にも沢山使われています。
例えばヨシュアは正確にはエホシュヤで「ヤハウエは救い主」と言う意味です。
この名がギリシア語になってイエスとなりました。

ちなみに英語ではジーザスといいますが、これはJESUSのJを濁って発音するアングロサクソン系の発音だそうです。
ラテン系は軽くイェと発音するのでイエスース、イエスとなるのです。
日本にはラテン系のイエスと言う発音が定着したのです。

ある人はこのお名前は進化論を木っ端微塵に打ち砕くと言います。
進化論は単純な生物から複雑な生物への進化を説明します。
この進化論を国を挙げて奨励しているのは先進国の中では日本くらいだそうです。
進化論では、物質の存在の根源、なぜそこに物質が存在するのかという説明は決して出来ません。
岩のくぼみに溜まったアミノ酸の濃い溶液に雷が落ちて原始的な生命体が生まれ、それが進化してアミーバとなりそれが進化して魚になり鳥になり動物になり人になる!!!
どれだけの奇跡をクリアーしなければならないことでしょう。
1億歩譲って、そうであったとしても、その岩は、その水は、何よりも原子ですら、なぜ存在するようになったのですか。
こういう最も基本的なことを素通りして、さも賢そうに、しかし、最も愚かに、したり顔に説明する進化論者は大うそつきで、こういう嘘にすっかり騙されて文部科学省や国営放送が拍車をかけます。
国立科学博物館までが当たり前のように馬鹿馬鹿しい展示をし、大新聞がそれを前提に書き続ける、全く信じられない馬鹿話です。
進化論を研究する機関が、すでに進化論は正しくないと宣言したにもかかわらず、日本は、その説を採用しないのですから

神の御名は「存在」です。
この方が物質の根源を存在させたのです。
神様が宇宙を創造されました。
天すなわち宇宙と地球の創造には時間差があるようですが、無から有を作り出されたのは神です。

このようなわけで、すべては信仰によるのである。それは恵みによるのであって、すべての子孫に、すなわち、律法に立つ者だけにではなく、アブラハムの信仰に従う者にも、この約束が保証されるのである。アブラハムは、神の前で、わたしたちすべての者の父であって、「わたしは、あなたを立てて多くの国民の父とした」と書いてあるとおりである。彼はこの神、すなわち、死人を生かし、無から有を呼び出される神を信じたのである。ローマ4:16〜17

90歳を越え、もう子供を生む能力を失ったアブラハムに神は「あなたを立てて多くの国民の父とした」と言われました。
アブラハムという名前でさえ「多くの人の父」です。
しかし、その時、彼は子供を持ちませんでした。
それにもかかわらず彼は子供が与えられると信じたのです。
その信仰は神にとって何にも代えがたい貴重な応答でした。
当時の社会で子供がいないと言うことは非常に情けない、悲痛なことだったのでしょう。
近頃は子供を生むことを喜びとしない傾向があって、日本では出生率が下がる一方ですが、子供が生まれないと言うことは人間の歴史が途絶えることです。
これは大げさなことではなく、本当に日本は今後50年で人口が半減すると言われています。

彼は望み得ないのに、なおも望みつつ信じた。そのために、「あなたの子孫はこうなるであろう」と言われているとおり、多くの国民の父となったのである。すなわち、およそ百歳となって、彼自身のからだが死んだ状態であり、また、サラの胎が不妊であるのを認めながらも、なお彼の信仰は弱らなかった。彼は、神の約束を不信仰のゆえに疑うようなことはせず、かえって信仰によって強められ、栄光を神に帰し、神はその約束されたことを、また成就することができると確信した。だから、彼は義と認められたのである。4:18〜22

アブラハムはその後ユダヤ人、アラブ人の先祖として尊ばれ、ユダヤ教、イスラム教、キリスト教の信仰の父として崇められています。
子供を生むというぐらいのことが、何でそんな大きな問題なのだろうかと思いませんか?
この話の中心は「無から有を呼び出される神を信じた」ことなのです。
「彼は望み得ないのに、なおも望みつつ信じた」ことがこれほどにも評価されました。
世界を創造された方には不可能はないと信じました。
その方がわざわざ保障してくださったのですから。
創造とは無から有を生み出すことです。
進化論は有から有を想定しているに過ぎません。
もともと無という概念はインドで始まったと言われます。
0、ゼロと言う数字を考え出したのはインド人だそうです。
欧米人には無という概念は無かったのでしょう。
しかし、聖書は初めに無という時があったと告げています。
さて、神は「有りて有る」ものですが、私たちは無に等しいものです。

私たち人間はほんのつかの間に生きることを許されたはかない存在です。
アダムの息子の一人アベルは兄に殺されて若い命を失いました。
当時の人々が数百年も生きたことを考えてください。
アベルとは「はかない」と言う意味です。

無きに等しい者。それが私たちです。
どこに私たちの誇りがあるでしょうか。
どこに存在価値があるでしょうか。
たとえ全世界を支配したとしても、所詮100歳に満たないで死んで行くのです。
しかし、この無に等しい者を有益なものにしてくださるのも神御自身です。
私たちが誇りを捨て、高慢を棄て、謙虚に神にゆだねるとき、神の創造の業は私たちの中に働き、私たちを永遠に生きるもの、神の働きに仕える者としてくださるのです。
無から有を生じさせる神は、あなたの中に新しい命を与え、もう永遠に滅びることのない者としてくださいます。
「私は有る」という方が、あなたも「有る」者としてくださいます。
神と共に存在し続けるものとしてくださるのです。

私たちも、このゆるぎない神に信頼して信仰生活を歩んでまいりたいと思います。

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