日本ナザレン教団 成田キリスト教会

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zoom RSS 神の完成 2009/06/07  使徒言行録2:22-36 エフェソ 1:3−14 出エジプト19:

<<   作成日時 : 2009/06/07 20:55   >>

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使徒言行録2:22-36  エフェソ 1:3−14   出エジプト記 19:16-20



十世紀頃からペンテコステの次の主日を、西方教会では《三位一体主日》と呼んできました。
西方教会とはカトリック教会を含むそれ以外のプロテスタントを指し、ハリストス正教会、ロシア正教などの正教会を東方教会と呼びます。
《三位一体》とは、《父・御子・聖霊》なる唯一の神を言い表すために古代教会以来用いられてきた用語です。
教会史上、この《三位一体》の理解をめぐって、正統だとか異端だとかを分ける境目となってきました。
《三位一体》の教義を受け入れる教会は正統、受け入れない教会は異端、とされたのです。
そのような歴史の中で、ペンテコステに続く主日が《三位一体主日》と呼ばれて覚えられるようになりました。
《三位一体主日》は、聖霊が教会に望んだことによって、自らの言葉によって、自分たちの信じる神を言い表したことを覚える主日です。

しかし、教会が自分たちの信じる神を自分たちの口で告白し、言い表したのは、《三位一体》の教義ができてからではありません。
教会は初代教会のころから、自分たちの信じる神を自分たちの口で告白し、言い表してきたのです。
主イエスの復活を信じる弟子たちの群れに聖霊が降って教会が誕生した、最初のペンテコステの日、弟子たちは、自分たちの信じるところを語り始めました。
使徒言行録は、その最初のペンテコステの日に語られたペトロの説教の一部を、今に伝えています。

すると、ペトロは十一人と共に立って、声を張り上げて、話し始めた。「ユダヤの方々、またエルサレムに住むすべての人たち、知って頂きたいことがあります。わたしの言葉に耳を傾けてください。今は朝の九時ですから、この人たちは、あなたがたが考えているように、酒に酔っているのではありません。そうではなく、これこそ預言者ヨエルを通して言われていたことなのです。」(使2:14~16)

成田教会は先週教会総会を持つことができました。
神様の宮である教会は、礼拝を中心に

私たちはペトロの説教の後半をもう一度見てまいります。
ペトロはまず、旧約聖書のヨエル書三章を引用して、主イエスの約束くださった聖霊が老若男女すべての人に注がれることが、確かに約束されていたことだと語りました。
主イエスは、旧約聖書の御言葉に徹底的に立ち戻って神の言葉を聞かれ、弟子たちに教えられました。
それに倣うように、主イエスの弟子であるペトロも、旧約聖書の御言葉に立ち戻って、自分たちの群れが経験している聖霊降臨のペンテコステの出来事を語ろうとするのです。
ここでペトロらが語ろうとするのは、ペンテコステの出来事だけではありません。それまでに経験してきた主イエスの十字架の死と復活という出来事を、ペトロは、旧約聖書の御言葉を用いて、語り告げるのです(22節以下)。

ペトロは、ここで詩編16編8~11節や詩編110編1節などを引用しながら語っていますが、彼が語ろうとしていることをまとめるとこうなります。
ナザレの人イエスこそが、神から遣わされた方であること。
このイエスを神は、お定めになった計画により、あらかじめご承知のうえで、人々に引き渡されたこと。
そして人々は、十字架につけて殺してしまったこと。
しかし、神はこのイエスを死の苦しみから解放して、復活させられたこと。
そしてイエスは神の右に上げられ、約束された聖霊を御父から受けて注いでくださったこと。
自分たちはそのことの証人であり、また今この言葉を聞いている人々は、まさに今このことを見聞きしているのだということ。

このペトロの説教は今日まで語られてきたすべての説教の原型だといわれます。
もちろん、誰かが録音をしておいたわけではありません。
速記をしていたわけでもありません。
その意味では、一字一句文字通りではないかも知れません。
けれども、初代教会にあって、この説教は、間違いなくペンテコステの日のペトロの最初の説教として伝えられ、書き記され、繰り返し朗読され、聴き直されてきた説教なのです。
そのような説教、ペトロやパウロが語ったとされる説教が、使徒言行録には、いくつも収められています。
初代教会は、これらのペトロやパウロの説教を繰り返し聴き直したのでありましょう。
聞いた人が口伝いに伝え、それをまた聞いた人が別の人に伝え、親が子に、子がまた別の人に伝え、今日にまで至っていると考えられます。
ですから、私たちも、これを、ペトロの説教として、そのまま朗読し、聴き、受け入れるのが、一番良いと思います。
今は、あらためて朗読をいたしません。
けれども、各自で思い巡らして頂きたいのです。
聖書という書物に記された文字の言葉としてではなく、もちろん朗読者の言葉としてでもなく、ペトロがここに説教者として立って、私たちに面と向かって、この説教を語ってくれたのだとしたら、私たちは、この説教をどのように聴くのでしょうか。
主イエスの一番弟子、大使徒とも呼ばれるペトロ先生の説教だから、それだけでありがたいと思って、拝聴するのでしょうか。
あるいは、いくら大使徒ペトロといっても、地方出身の無学な漁師出身の男だから、学問を修めたパウロのように洗練された深みはないな、などと思いながら聞くのでしょうか。
いや、そのような先入観からの評価ではなく、実際、ここに伝えられているペトロの説教の言葉を聴いたならば、どのような感想を持たれるのでしょうか。
もっとも、パウロが福音を語り始めるのは、これから何年もたってのことですから、ペトロのこの説教とパウロの説教を聴いたという人はかなり限られると思います。

ペンテコステの日のペトロの説教を聴いた人々はこれを聞いて大いに心を打たれ(37節)たと、使徒言行録は伝えています。
人々はこれを聞いて、強く心を刺され(口語訳)たのです。
想像するに、ペトロの説教は、人々の心をジーンと感動させるようなお話しではなかったと思います。
また、今週一週間のための活力を与えてくれるようなお話しでもなかったと思います。
そうではなく、聴く人々の行ってきた過ち、間違いをはっきりと示し、自覚させるような言葉を、ペトロは語ったのです。
そのような説教を聴かされた人々は、ペトロから離れていったのでしょうか。
ペトロの説教を、「もう結構だ」「うんざりだ」「聴く価値がない」と酷評して、別の説教者のところに行ったのでしょうか。

使徒言行録は、不思議な光景をここに伝えます。
ペトロの、人の心を打ち、突き刺す説教を聴いた人々は、その日、ペトロの勧めに従って、悔い改め、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪の赦しを信じて教会の仲間に加わったのです。
その数三千人ほどでした。
もちろん、離れていった者、別の説教者のところに行った者もいたかも知れません。
また、聖書は大げさな数字を挙げているのだと言う人もあるかも知れません。
けれども、少なくとも初代教会が、こう信じたことは確かです、ここに伝えられたものをはじめとするペトロらの説教こそが、教会に仲間を加え、成長させる原動力になると…。

「この時代」から救われるために
「だから、イスラエルの全家は、はっきり知らなければなりません。あなたがたが十字架につけて殺したイエスを、神は主とし、またメシアとなさったのです」
この言葉は、直接には主イエスを十字架につける裁判に荷担したユダヤ人に向けられた言葉でしょう。
けれども、私たちには関係ない言葉だとは言えません。
ペトロは、こう言っているのです。「あなたがたは、過ちを犯した。あなたがたの今までの考え方、その考えに基づいた行動は、間違いだった。しかし、神は、その、あなたがたの過ちや間違いさえも用いられて、ご自身のご計画を遂行され、実現なさったのです。」
ペトロは、この日、このほかにもいろいろな話をして、力強く証しをしました。
「邪悪なこの時代から救われなさい」と勧めていた(40節)と伝えられています。何も二千年前のペトロの時代が殊更に邪悪な時代だったというわけではないでしょう。
私たちの時代も、同じなのです。
今の時代を、私たちは、邪悪な時代だとは、あまり考えないかも知れません。
そのような時代の中に生きているとは思っていないかもしれません。
薄っぺらな平和が語られ、一生懸命積み立てた年金も、どこかに消えてしまっている、そんな世の中


いや、時代が邪悪であっても、自分だけは、そんな邪悪な時代の中から抜け出して、きちんと距離を置いて生きていると、そのように、私たちは思いたいのです。一時的な時代の精神に絡め取られないで、永遠のキリストの精神・神の聖霊に導かれて歩みたいのです、生きたいのです。
だからこそ、私たちは、聖書の御言葉によって、御言葉を説き明かす説教によって、御言葉の礼拝によって、繰り返し悔い改めに導かれたいと願います。
私たちの生きる姿勢を、自分たちの考えや思いや行動を中心に据える姿勢から、神の御心やご計画、その御業を中心に据える姿勢に変えられたいと願います。
初代教会の歩んだ歩みを、今ここでもはっきりと見ることが許されているということを、私たちは信じて歩み続けるのです。
2009年度の私たちの歩みが、神様の守りと祝福の中にありますように願います。

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