日本ナザレン教団 成田キリスト教会

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zoom RSS 御子の権威 神の権威 2009/05/10  ヨハネ5:19-29

<<   作成日時 : 2009/05/10 14:01   >>

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今日は母の日です。
別に対抗するわけではありませんが、本日は「御子の権威」「父の権威」についてのみ言葉となりました。
神様の特別な導きを感じさせられます。

先ず、神様と御子イエスとの関係についてご一緒に考えたいと思います。
今日の箇所から5章の終わりまでは、主イエスの説教が続いているところです。
その説教の主題は「イエスとは誰か」に尽きると言って良いと思います。
主イエスについて主ご自身が語っておられるのですから、他のだれかの説明よりも明快と言えば明快のはずです。
しかし、そのわりには少し難しい言葉や表現が多いように思います。
先日の祈祷会でもこんな話になりましたが、み言葉や説教というものは、そういうものかもしれません。
その時、その人にはよく分かるけれど、別の人、また他の時にはさっぱり分からない。
心に響くときと響かないときがあるものです。
もちろん、それは説教者の技量にもよるかもしれません。


先週、先々週と5章17節のみ言葉を「今週のみ言葉」としました。
「わたしの父は今にいたるまで働いておられる。だから、わたしも働くのである」
今日の箇所は17節のこの箇所から展開されているところです。


確かに当時の常識で考えれば、安息日に、床を取り上げることは規定に反していたかもしれません。
しかし、これが人ではなく神によるわざだと理解すれば、安息日は神のものですから何の問題もないはずです。
もし目の前に神様が現れてこのことをされたのであれば、律法学者たちは怒らなかったはずです。
安息日に、神が人をかえりみられ癒しがなされたのだとするならば、これほどの祝福はありません。
神様の大いなる業に驚くべき恵みです。
しかしユダヤ人は、主イエスの徴に神を見ることができなかったということです。


安息日理解の中でも、100歩譲って当時の常識を越えて神様が働かれたことを認めたとしても、
主イエスが、
「わたしの父は今にいたるまで働いておられる。だから、わたしも働くのである」
と言われたことで、ご自身を神と同等にされたことが許されなかったのです。
実は、この当時、ユダヤ教の教師は、こういっていました。
神様から独立して行動したり、神様の裁きに反逆したりするものは、自分を神と同じ位置に置く、と。
ユダヤ人たちはそのラビの教えを鵜呑みにしていたのです。

主イエスが神を父と呼び、ご自分と神とを同等にしたということです。
三位一体の神様の理解がまだない時代にあって、この対応はある意味では仕方がないのかもしれません。
十字架を経験し、復活を知らないユダヤ人にとってはもっともだといえるでしょう。
逆に言えばそれぐらいユダヤ人にとって、神は崇高なる存在でした。
福音書を普通に読めば、主イエスとユダヤ人とどちらが神に近いか、答えは簡単に出ます。
一方で、神に選ばれ、御心に生きようとしながらも、次第に軌道を外してしまうのが人なのかも知れません。
他方、主イエスは危険にさらされながらも、また人々の無理解をまざまざと見せられながらも、御心を真直ぐに歩み通されたのです。

そのことに対しての答えが本日の箇所です。
主イエスは
はっきり言っておく。子は、父のなさることを見なければ、自分からは何事もできない。父がなさることはなんでも、子もそのとおりにする。
父は子を愛して、御自分のなさることをすべて子に示されるからである。また、これらのことよりも大きな業を子にお示しになって、あなたたちが驚くことになる。
とお答えになられました。
主は何事もできないという表現で、自分はまったく無とされることを予告しています。
子もそのとおりにする、

今日の箇所には、「父」と「子」、「遣わす」などという言葉が出てきます。
それ以外にも、言葉、声、命、死、信じる、裁き、永遠の命、復活、人の子、神の子などという重要な言葉が沢山出ています。
み言葉の宝石箱、のような説教であるといえます。
どこを読んでも、ありがたい。
逆にどの言葉を中心に読んだらいいのか分からない、といった感じです。

その宝石箱の中を区切る板のように、「はっきり言っておく」という言葉が三度出てきます。
19、24、25節です。

皆さんもご存知のとおり、主イエスが、重要なことを言うときの前にこの言葉が用いられます。
言語は「アーメン、アーメン」です。
「まことにまことにあなた方に告げます。」とかつては訳されたのですが、
「まことにまことに我汝らに告ぐ」
では何を伝えたかったのでしょうか。

これから語る言葉こそ、あなた方を生かす真理、これらこそ救いの言葉である、ということです。

天の神様は、死者を復活させて命を与えることが出来るお方です。
この「復活させる」が病人を「起き上がらせる」と同じ言葉であることは先々週お話いたしました。
38年間、肉体が死んでいたわけではないけれども、死んだも同然だった人を主は立ち上がらせました。
それはその人に新しい命を与えたと同じ意味を持つのです。
その人は、イエス様の言葉を聞いて、確かにその時起き上がり、それまで彼を支配していた罪と死の象徴のような床を担いで歩き始めました。
つまり、それまでの自分は死に、新しい命を生き始めるチャンスをえたのです。

「父が死者を復活させて命をお与えになるように、子も、与えたいと思う者に命を与える。」
この死者に「命を与える」という言葉は、少し先の6章63節に出てきます。
お読みします。

「命を与えるのは“霊”である。肉は何の役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、命である。しかし、あなたがたのうちには信じない者たちもいる。」
ここに「わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、命である」とあります。
これも不思議な言葉です。
「言葉」と「霊」と「命」が一つになっています。
ヨハネ福音書の冒頭には、「言葉」が主イエスであるように書かれています。
聖書のみ言葉を聴き、聖餐の恵みとして、主のみ体を受け、命を受けると考えれば理解しやすいでしょう。
そして、言葉を信じる者だけが、霊によって与えられる命を生きることが出来る。しかし、信じない者たちもたしかにいるのです。

21節で、子が与えたいと思う者に命を与える、と言っている舌の根も乾かないうちに
24節以降では、イエスは全人の復活を預言しています。
けれども全て人は、その目的により、2つに分られると説明されています。
一方はいのちを受け、他方はさばきを受けるのです。
安息日と知りながらいやしを行える・・・それができる人はこの世にいないでしょう。ただ一人、人となられた神がご自身を力強く現されたのだとすれば、私たちはこのお方のもとで生きる者、将来を心待ちにするものとなるのが幸いではないでしょうか。

「子は、父のなさることを見なければ、自分からは何事もできない。父がなさることはなんでも、子もそのとおりにする。」(19節)。
御子イエスは、自分からは何事も行うことはできませんと言っておられます。
子は、父がしておられることを見て行う以外は、何も行うことができないと言われます。
父なる神の御心だけを行うのが、子の願いであります。
イエスの心からの願いは、父なる神の御心を行うというこの一点に集中していました。
子なるイエスの願いは、「人からの栄誉」(41節)ではなく、父なる神の御心を行うことでした。
私たちの教会も、父なる神の御心が行われることを願うものです。
教会の願いは唯一つ、父なる神の御心が行われるとことであり、そこに喜びも溢れてきます。
父なる神の御心は、御子イエスを通し、聖書のみことばを通して明らかにされています。

「これらのことよりも大きな業を子にお示しになって、あなたたちが驚くことになる。」(20節)。
「これらのことよりもさらに大きな業」とは何でしょう。
それが24節に書かれています。

はっきり言っておく。わたしの言葉を聞いて、わたしをお遣わしになった方を信じる者は、永遠の命を得、また、裁かれることなく、死から命へと移っている。
その第一は、死から命に移されたことです。
信じる者が、死から命に移されたということが、さらに大きなわざです。
これが御子イエスの十字架によってもたらされる神の恵みであり、驚くべき神の奇跡です。

その次は、さばきに会うことがないということです。
死から命に移されただけではない、神のさばきに会うことはありません。
神は、その人をさばきません。
なぜ、さばかれないのでしょう。
すでに御子の十字架で、私たちの罪はさばかれていたからです。
私たちがさばかれないのは、御子が十字架でさばかれたからです。

次に見られる神の御わざは、信じる者に永遠の命が与えられることです。
死んだ者が神の子の声を聞くときが来るというのです。
今がその時で、聞く者は生きるのです。
墓の中にいる者が神の子の声を聞き、永遠の命が与えられます。
これこそが神の御わざの奇跡中の奇跡です。
死から命へ移されることが、神の御わざであり奇跡です。
これはすべてを造られた神にしかできません。

私が取り次ぐみ言葉は、乏しいものです。
私たちが祈る祈りはささやかなものです。
しかし、「まことにまことに我汝らに告ぐ」と全身全霊を持って私たちに語ってくださる主の言葉を受け入れてまいりたいと思います。

この神が、御子が私たちを権威を持って愛してくださっているということを再確認して世に遣わされてまいりましょう。

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