日本ナザレン教団 成田キリスト教会

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zoom RSS へりくだられる神  2009/04/05 フィリピの手紙2:6-11

<<   作成日時 : 2009/04/06 00:43   >>

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今夕のテキストは、有名なフィリピ書のキリスト讃歌と呼ばれる箇所です。
これはイエス・キリストの出来事の全体をふまえて、その意味を簡潔な言葉でキリストとその父なる神を讃えつつ歌う詩です。

この詩は前半と後半に分かれています。
前半は神の身分にあったキリストが、まるで奴隷のように「自分を無にして」人となり、十字架の死を死ぬに至るまで神に服従したと歌います(6-8節)。
そして後半は、その奴隷の死を死んだキリストを、神は天高く引き挙げて「あらゆる名にまさる名」、すなわち旧約聖書で神を意味する「主/キュリオス」という名を与えた、ということです
それは全宇宙がその名の前にひざまずいてキリストを「主」と告白するためであったと歌います(9-11節)。
そして、これらすべてのことが起こったのは「父である神をたたえる」ためであったと。

イエスは社会の片隅に追いやられた人々とともに生きることで、神の愛を伝えました。
彼は病人を癒し、病気や障害を引き起こす悪霊を追い払い、穢れているとされた人々の家に泊まり、その人たちが調理した食事を一緒に食べました。
また難しい律法の勉強などする余裕のない人々にイエスはたとえ話を語って、神がいま人々とともにおられることを伝えました。

今でこそ、私たちはその姿に、その生涯に、主イエスが王の王、救い主であるということを理解することができます。
しかし、その姿を目の当たりにした人たちは、その姿が当時思い描いていた救い主の姿とあまりにかけ離れていたので、理解することができなかったのです。

イエスの時代のユダヤ教の指導部である最高法院(サンヘドリン)は、神殿のあったエルサレムにありました。
そこには大祭司、祭司長たち、長老たち、律法学者たちがいました。
彼らは巡礼の祭りのために上京して、神殿崩壊の預言を行ったイエスを危険人物と見なしました。
彼らはイエスの身内の者たちの裏切りを利用して、ついにイエスを逮捕し、彼を死刑にすることを決議しました。
その後で起こったことについて、聖書にはこう書いてあります。
「ある者はイエスに唾を吐きかけ、目隠しをしてこぶしで殴りつけ、『言い当ててみろ』と言い始めた。
また、下役たちは、イエスを平手で打った」(マコ14,65)。
イエスは自分の民族の指導者たちから拒絶され、侮辱されたのです。

他方で、当時のパレスチナを支配していたローマの総督ピラトもまた、イエスを放置しませんでした。
この男には、イスラエル民族を外国支配から解放する王なるメシアという期待が寄せられていたからです。
最高法院から引き渡されたイエスを、ピラトもまた死刑にすることに決めました。十字架刑は、重大な罪を犯した奴隷や国家反逆罪に問われた属州民に対する見せしめの処刑法でした。
処刑のために引き渡されたイエスは、ローマ軍の兵士たちから虐待されます。
「兵士たちは、官邸、すなわち総督官邸の中に、イエスを引いて行き、部隊の全員を呼び集めた。そして、イエスに紫の服を着せ、茨の冠を編んでかぶらせ、『ユダヤ人の王、万歳』と言って敬礼し始めた。また何度も、葦の棒で頭をたたき、唾を吐きかけ、ひざまずいて拝んだりした」(マコ15,16-19)。
こうしてイエスは、外国軍の兵士からも虐待されて殺されました。
しかしそのように死んだイエスが、死者たちの中から起されて、いまは神の命を生きているという確信が生まれました。
イエスは自らの活動を通して神の支配が実現してゆくと信じましたが、この確信から、神の支配はイエスの復活をもって始まったという信仰が生じたのです。
弟子たちの信仰におけるこの変容にきっかけを与えたのが、復活節に生じたもろもろの顕現のできごとでした。
これがキリスト教の誕生の由来です。


人間が神に近づく事はできないので、神様の方から私たち人間に近づいてこられたのです。
何とありがたいことでしょうか。
最初は預言者が遣わされました。
そして終りの時代にキリストが遣わされました。
キリストは33年半の間、人間として地上を歩まれ、最後に人の罪のために十字架かにかかり、救いの道を開かれました。
しかし死んで終りではなく、三日後に復活され、キリストを信じる者には永遠の命が与えられることを確実にされ、天に昇り、今は天上で私たちのために祈っておられます。
キリストがご自分を現して、私たちに本当の救いを明らかにするめに人となって来て下さったのがクリスマスです。
第二に、罪ある人間を救うために、キリストはこの世界に来られたのです。
罪とはまことの神を信じないことです。
愛と赦しときよい神様から離れている事、信じない事が罪です。
罪ある人間は傲慢であり、自分だけはいつも正しいと思い、他人を見下げます。キリストは謙り、相手の立場に立って、自分に罪がないのに人間の罪の身代りになろうと決意された。
それで神と等しくあることを固守すべき事とは思わなかった。
神としてのあり方を捨てられないとは考えなかった。
人間を救うためであるなら、わたしの全てを捧げよう。
わたしが人間の苦しみを引き受けよう。
わたしが人間の罪を背負って十字架上で神の罰を受け、死んで行こうということを実際に行うために、キリストはクリスマスの日に人として生まれたのです。
キリストは33年半の生涯を通して人間の苦しみを体験されました。
最後に十字架にかかって罪の身代りとなり、罪の赦しの道を開かれたのです。
キリストは天の栄光を捨てる決断をして、人間となりました。
キリストは、ゲッセマネの園で徹夜で祈り、人間の罪の赦しのために十字架にかかって身代りになるという決断をされ、十字架に向いました。
このキリストを信じ続けることが信仰です。
ですからキリストを信じるということは、キリストのように決断の生活をすることです
決断ということですが、キリストは天から地上に下って人間となり、十字架にかかると言う決断をされた、まことの決断の模範のお方です。
私たちもキリストに倣って、信仰生活は決断の連続であることを心に留めて、祈って行くことが大事です。

神の身分であるキリストは天上界にいましたが、人間になることで地上界に降り、さらには死者となって冥界にまで降り、その後で神によって天上界の頂点にまで引き挙げられたとあるからです。
「天上のもの、地上のもの、地下のもの」(10節)という世界理解を、私たちは理解しなければなりません。

すべてのものが跪き、主イエスを神とあがめる。
主がへりくだられたのと同じように私たちも十字架の前にへりくだり神の愛に行きたいと願います。




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