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zoom RSS 真の光の王の到来 2008/11/30 イザヤ63:15-64:11

<<   作成日時 : 2008/11/30 13:52   >>

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アドヴェント (Advent) とはキリストの降誕を待ち望む期間の事です。
西方教会では、11月30日に最も近い日曜日からクリスマスイブまでの約四週間のことを指します。
アドヴェントとは、「到来(やってくる)」という意味のラテン語です。
英語にもなっています。
これには二重の意味があり、ひとつは主の降誕の日がやってくるという意味。
もう一つは審きと救いとを成就するために、主が再びおいでになる(再臨の主)、ということです。
再臨を待ち望むとうことで、先週までの聖書の学びがあったわけです。
過去においでになった主イエスをいま新しくお迎えすることと、これから来られる主を待望するという、二重の喜びの時です。

先週は教会の飾り付けをしました。
一般的にクリスマスと言うと、イメージする色は赤や緑であります。
あるいは、雪をイメージする白が挙げられるでしょう。
しかし、典礼色は紫色です。
典礼色には次のような色があります。

白はイエスさまの栄光、喜び、勝利、純潔を表しています。
また緑は信仰の成長を表しています。
そして赤は聖霊をあらわしています。
紫はイエスさまの受難と尊厳を。
しかし、待降節の典礼色は悔い改めを意味する紫です。
本日からアドベント第四主日の21日まではこの紫色が典礼色になります。
そしてクリスマスイブとクリスマスは栄光、喜び、勝利、純潔を表わす白となります。

救いの御子の誕生を喜び祝うクリスマスですが、私たちの罪のために十字架におかかりになる主イエスの到来であることを、厳粛な思いで覚えたいものです。


さて、私たちは神様をどのように意識しているでしょうか。
ある牧師先生がお話しされたことですが、その牧師先生は救われる前は神様はいつも後ろからじっと見張っている方と思っていたとのことです。
しかし、救われてからは、神様は私たちの前で愛なる方だとわかったというのです。
今日の聖書の御言葉は、神様は父なる方であり、贖いの神様だと語っています。
この贖いという言葉は、捕虜や奴隷を代価を払って買い戻すことを意味しています。
また罪の償いの代価をも意味しています。

聖書はすべてのものを作られた創造の神がいらっしゃることを語ります。
人間もまたその神のご計画により命を与えられたと伝えます。
しかし旧約聖書を読んでいくと、その人間が神のようになろうとしていることが記されています。

聖書で定義する罪とは、神の意図に反する行為です。
被造物が創造主になろうとする行為は神の意図に反するので、罪になります。
最初の人間が神に対して罪を犯したため、そこからすべての人間が存在自体罪ある者となり、神との断絶(霊的な死)を味わうことになりました。
人間の苦悩や問題を生み出しているのは最初の人間の罪である、というのが聖書の人間観です。

その罪を無効なものとする行為として、聖書は「贖い」を置いてます。
罪の贖いに必要なものは「血」つまり命とされています。
人間を完全に罪から贖う為には、罪に汚染されていない命が必要です。
しかし、人間は全員神と断絶してしまっていて罪の中にあるので、人間の命では人間を贖えません。
旧約聖書では、ものすごい数の生贄として牛や羊が捧げられたと記されています。
しかし、牛や羊の血でも完全に人間を贖う事はできなかったというわけです。

ものすごい数の生贄の代わりとして、主イエスが十字架上の死をもってその罪を購ってくださったのです。
この購い主である主イエスの誕生をお祝いするのがクリスマスです。

神はその独り子イエス・キリストを私たちのためにこの世に遣わしてくださいました。
私たちはその救い主イエス・キリストをお迎えします。
私たちのために成し遂げられた神の救いの出来事へと向かっていくのです。
キリストの到来を待ちつつ、そのキリストは私たちのために来てくださり、私たちを待っていてくださいます。

イザヤの預言の言葉は、神の愛から離れてしまったイスラエルの民が、神の審きとしてバビロンに捕囚となることを明らかにしています。
しかしこの神は、捕囚となっているイスラエルの民をあわれみ、ペルシャ王クロスを用いて、イスラエルに帰還させると約束しておられるのです。
ここに神による贖いがあると語るのです。
そしてこのことの中に、神に背く民の罪を赦す愛が明らかにされているのです。
聖書は、神にそむく人間がどんなに深く罪の泥沼に落ち込むものであるかを明らかにしています。

人間は罪の性格を帯びてしまったために、闇に属するようになってしまいました。
光の中でこそ、闇が映し出されます。
光と闇、命と死の鮮やかなコントラストの中に中間はありません。
主なる神が御民のための〃天を裂いて降りて来られる。〃[1] とは、何と力強く頼もしいことでしょう。私たちを覆った試練の黒雲、絶望の闇。それは、ナイフで黒い紙を切り裂くようなわけにはいきません。ちょっとした 気持ちの切り替えでは、明るくすることはできません。が、主なる神は天を引き裂いてでも降りて来、御民のためご介入下さるのです。


「めでたさも、中くらいなり、おらがクリスマス」
これは小林一茶の「めでたさも、中くらいなり、おらが春」という句をもじってみました。
この一茶が用いた「ちうぐらい」というのは、たいしたことはない、という意味だそうです。
春とは新春なのか、季節の春なのか、わかりませんが、とにかく心躍る季節です。
この句が読まれた頃は一茶は次々と子供や妻を失い、家を消失し、病と闘っているときでした。
世間では、春が来たと喜んでいるが、いっぽう自分は…。という意味かもしれません。

もし主イエスを自分の人生の主人として受け入れることが無ければ、私共のクリスマスはこのようなことになっていたと思います。

あなたを待つ者に計らってくださる方は神よ、あなたのほかにはありません。昔から、ほかに聞いた者も耳にした者も目に見た者もありません。
イザヤ書では、神さまご自身のことを、「聞いたことも、見たこともない」方と表現しています。
神 さまは、人の想像を超えた、思いがけないことをなさる方です。
今年一年、神さまが私たちにどのような計画をもっておられるのでしょう。
私自身が計画することと、神さまが計画されることが、一致するものもあるだろうし、一致しないものもあるでしょう。
でも、そこには神さまの深い深い知恵があることを、このみことばはおしえてくれます。
イザヤ書64章は神に見放されたのではないかと感じているものの祈りです。
中には厳しい言葉もあります。
でも、その中にあってこのような神への信頼、そしてどこまでも神の被造物としての存在価値を硬く持つイスラエルの民の信仰を見ることができます。
私はどんなときにも父と呼ぶことの出来る神に造られたものなのだ、ということを覚えて感謝したいと思います。
「喜んで正しいことを行いあなたの道に従って、あなたを心に留める者をあなたは迎えてくださいます。」(4節)
主の恐るべき威光、自らの深い罪を見て、とりつく島もない中で、父なる主にあわれみを請うて祈っています。
ここで「あなたを心に留める者をあなたは迎えてくださる。」というのです。
この「心に留める」という言葉は口語訳では「記念する」と訳されている言葉です。
この「心に留める」、「記念する」ということを見失ってはいけません。
デボーションにおいても、どれくらい聖書を読んだか、どれくらいの時間祈ったかということではありません。
そのことよりも、御言葉を通して、祈りを通して、どのような出来事が、変化が起こったかが大切なのです。
主にあって起こった出来事がまさに私たちの「記念する」ことになります。

日曜日が終われば日々の生活の中にあり、水曜日、あるいはまた日曜日がやってきます。
季節がめぐればまた冬が来て春が着ます。
クリスマスは、子供が小さい頃まで、あるいは恋愛の期間だけ楽しく喜ばしいものではありません。
クリスマスのめでたさは、私共にとって取り立てて言うほどのことではない、中ぐらいのものというようなことではありません。
私共にとって、クリスマスは自分の誕生日よりもうれしい、喜ばしい日であるべきです。
神様の恵みと真実とが、この出来事により明らかにされたからであります。
私たちに命を与えてくださった神ご自身が、私たちを愛してくださっていることを確信する日だからです。

喜びと感謝を持って、救い主の到来を待ち望みましょう。

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「真の光の王の到来 2008/11/30 イザヤ63:15-64:11」について いよいよアドベント(待降節)となりました。 世の中ではイロイロややこしいことも少なくないご時勢ですが、 そのような中にも主が着てくださったことを覚えて 喜びを持ってクリスマスを待ち望みましょう。 ...続きを見る
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2008/12/01 09:40

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